四国最東端は風光明媚。徳島県「蒲生田岬」で紀伊水道の景色を見よう。
はい、四国最北端に引き続き四国東西南北シリーズ。今回は最東端の蒲生田岬を目指します。
四国の最東端は徳島県阿南市にあり、徳島市からは車で1時間半ほどの距離。
到達難易度としては中くらいで、自動車必須。最東端の蒲生田岬で紀伊水道の景色を見た話題など紹介。
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2023年8月6日(日)。おはようございます。
東側の部屋だったので、朝陽のまぶしさで目を覚ます。
8月といえば台風6号と台風7号で大混乱でしたね・・・。
さて、今日は名古屋へと帰る日ですが、帰る前に寄り道がてら、四国最東端の蒲生田岬(かもだみさき)へ向かいます。
ここらは高速な道路も未発達なので、徳島市から国道をひたすら南下する。
しばらくすると、蒲生田岬の案内が出てきましたね。
「四国最東端」という表現はしていないので、何も知らない人はただの岬にしか思わないでしょう。
国道を外れ半島の先へ向けて海岸沿いの道をひた進む
蒲生田岬の案内が出てきましたね
・・・って、あれ、朝からクソ混雑してる??
四国最東端、映えまくって人気の観光スポットになってしまったのか??
というのは誤りで、蒲生田岬の駐車場には誰も居ませんでした。
さっきの車はサーファーによる路上駐車でした。ここら辺は良いサーフィンのスポットなのでしょうか。
ラジオを流して、黙祷。
さて、車で行けるのはここまで、ここからは歩いて蒲生田岬を目指します。
ゲートとかモニュメントとかもあるし、ある程度は観光地として整備されているようだ。
狭い田舎道を車で抜けてやって来た場所。
しっかりと整備されているのに、もうちょっと人が集まっても良いのでは?(※午前8時)
少し抜けると見えてくる小高い丘にあるのが、蒲生田岬灯台および蒲生田岬。
天気予報では曇でしたが、良い感じに青空も見えてきた!
斜度のキツい階段を登るとそこは・・・
紀伊水道を一望出来る、映え映えの展望台だーー!
はい、東の空は曇天です。残念でした!!
ここへの道中を含め、蒲生田岬はあまり「四国最東端」をアピールしていない、控えめの存在でした。
唯一最東端という文字を見かけたのが、灯台にあった案内。「四国最東端に建つ灯台」と書かれています。
南側はまだ空が見えるので良い感じの景色。
東にぼんやり見えるのは和歌山県。紀伊水道の向こう側ですね。
ベタな展望台ですが、見渡せる角度も広く、また四国最東端という特殊性もあるので良い眺望スポットではないでしょうか。
さて、程よく景色を見たし帰りましょうか。
この謎オブジェ、何かと思ったら写真撮影スポットだったんですね。
穴の中に入って写真を撮ると良いらしい。この記事書きながら知りました
さて、これで四国東西南北を制覇したのですが、このまま帰るのも勿体ないので寄り道。
徳島県小松島市にある小松島港のエリアが通り道だったので、帰る前に立ち寄ります
公園の駐車場に車を置いて徒歩。
何の変哲も無い公園ですが、かつては国鉄小松島線および小松島港があり、四国への玄関口となっていました。
しかし連絡船は無くなり線路も廃線となってしまったので、今では連絡船が発着していた名残は殆ど無かった。
ある意味の名残としてあったのが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑。
阿波行きの船待つ人に時雨しぬ兵庫のみなと夜の十二時 鉄幹
船室にわが身を起こしすでに踏む阿波の港の朝じめりかな 晶子
与謝野夫妻がかつて小松島を起点に四国を巡った際に詠んだ歌、だそうです。
確かにここに本州との連絡船が発着していた名残だ。
文学も大切だけど、現代っ子はもっと分かりやすい面影が欲しいよね
という事で公園を歩いていると、現われたのが巨大な狸像。小松島にはたぬき伝説あり!
で、分かりやすい面影ってのが公園内にある、このオブジェ。
駅舎が残っていると思わせておきながら、実際は駅舎っぽく作ってある屋根であって駅跡ではない。(場所も違う)
全国津々浦々にある保存蒸気機関車。小松島にもあります
C12形蒸気機関車(C12-280)
オウ、アスベスト・・・
この手の保存車両にしては珍しく、客車の方が施錠されておらず乗務員扉が空いてました。
錠前は存在していたので、毎日誰かが管理しているのだろうか?
かび臭いけどオハフ50形客車の車内に入れました。
車内は展示施設のように改造されていましたが、一部の座席は現役当時のように残ってます。
昔は当たり前のように車内に灰皿があったんだな・・・とか思ったり。
そんな感じで徳島寄り道鉄道スポットでした。
もう少し色々と廃線跡を感じられる施設が残って居ると良いのでしたが、無いものは仕方ないですね。
曇予報はどこへやら?
その後も雨も降らずいかにもな夏空を感じながら名古屋へとか帰りました。
<四国最東端の話題でした>