自然の歴史のまち。長崎県島原市をふらり歩いてみたお話(後編)
長崎県の島原半島中央部にそびえる火山、雲仙岳。
近年でも火山活動は活発であり、1991年に発生した火砕流による災害は多くの人が存じているであろう。
とは言うものの、当時リアルタイムで報道を追っていた訳では無く、後の報道特番なので知っている程度。
島原半島を訪れるにあたり、災害について詳しく知りたいと思っていました。
そんな雲仙岳についての資料館、「雲仙岳災害記念館」へと足を運ぶことにしました。
このページはこちらの記事の続きです。
水の流れる街並みを後にし、島原のバスターミナルへと訪れました。
向こうに見えるのが雲仙岳ではなく天狗山と眉山かな。雲仙岳はその向こう側なのでこの位置からはよく見えない。
バスターミナルより路線バスに乗り、雲仙岳災害記念館へと向かう。
いわゆる資料館なのに、市街地から離れて微妙にアクセスが悪い所にあるもんだと思ってましたが、理由は後で分かりました。
「アリーナ入口」バス停で降りてから徒歩10分程度。
雲仙岳災害記念館のある「がまだすドーム」へと到着。閉館時間が迫っているのでさっさと行きましょう。
施設名になっている「がまだす」とは島原の方言で『頑張る』『精を出す』という意味であると書いてありました。
災害からの復興の合い言葉として親しまれているそうです。
1,000円を支払い常設展示へ。
雲仙岳災害記念館では、1990年に始まる雲仙普賢岳の噴火に関わる様々な写真やビデオ、物品などを展示。
災害の記録そして対策を後世に伝える施設となっています。
例えばこちらは災害後の地層の剥ぎ取り標本。
元々の地層に火山灰が堆積し、その後に火砕流が堆積。そして二次災害で発生した土石流などが堆積。
合計で1メートル以上の堆積物による地層が形成されており、火山による災害の大きさを物語っています。
こちらは島原のジオラマに映像をマッピングし、噴火から一連の災害をその影響範囲を確認出来る。
1991年6月3日、43名の犠牲者を出した火砕流災害
高熱で焼き尽くされた島原の風景が、そこに再現されていました。
高温で焼けた道路標識
犠牲となった各社の報道陣が使用していたカメラも展示されています。
展示されていた土石流分布図を見て、土石流による被害の大きさを初めて知る。
報道では火砕流が大きく取り上げられていましたが、こうやって資料を見ると土石流の影響も大きかったのかと。
そして現在ではいくつもの砂防ダムが建設されており、再び土石流が発生しないよう対策されています。
このがまだすドームおよび雲仙岳災害記念館は、その流域の河口に建設されていました。
なるほど、この立地はそういう意味だったのか。
施設を出ると外には災害派遣で使われた後に引退した自衛隊機材の展示。奥に見えるのが慰霊碑。
土石流が通った場所は地形として残っていました。
アクセスがちょっと悪くてだいぶ時間を要しましたが、やはり島原を訪れたなら足を運んでおいて良かったなと。
さて、陽も沈んで島原へ1泊と言いたい所ですが、相変わらず忙しない行程を組むワタクシ
島原港からフェリーで県境を越え、熊本港へと渡ってしまいます。
島原-熊本の航路は2社が運航されており、片方は車も乗せられるフェリーで1時間。
もう片方は高速艇で30分という具合になっていました。
早いのに乗っても遅いのに乗っても、その後の路線バスが一緒になるので
遅くいけど安い方に乗ることにしました。熊本港まで780円で行けるよ!
続々と積み込まれる車輌。車両甲板はほぼ満車状態となって出港し、重要な生活の航路なんだなと実感。
客室は船舶によくある感じ。売店はありましたが軽食コーナーはありませんでした。
グッバイ島原。今度は雲仙温泉とか行くよ!!
1時間で熊本港に入港。
やぁ、くまモン。久しぶりだね。
熊本港は郊外にあるため、熊本市街地までは路線バスで移動
熊本交通バスセンターまで約40分、550円です。フェリーと比べたらなんか路線バスが割高に感じてしまう
路面電車が見えてきたら、熊本にやって来た感がしますね。
夜はその辺のラーメン屋で軽く済ませてホテルへ向かいました。
連休の九州観光1日目が終了。まだ2日続きますよ!
□次回に続きます