名古屋発!道東根室中標津1泊2日の旅。標津線廃線探訪と野付半島をめぐる編。
北海道の観光資源といえば、北海道ならではの大自然とグルメなどがありますが、
鉄道マニアにとっては、今は亡き長大な路線網の廃線跡を見るのも、楽しみのひとつ。
24時間しかない滞在時間、2日目は標津線の廃線跡と野付半島を訪問します。
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2023年10月22日(日)。おはようございます。
限界旅行勢の朝は早い。日の出と共にスタートしたい所だが、さすがに現実的なレベルで6時に出発する。
今朝も根室からは国後島が見える。
さて、今日は冒頭にも書きましたが、限られた時間のなか標津線の廃線跡を巡る事にしました。
標津線のほかは野付半島を観光した後に、根室中標津空港から羽田空港へ帰ります。
まず最初に訪れたのが、根室本線の厚床駅。
今や釧路から伸びる長大な盲腸線のような立ち位置の根室本線(花咲線)ですが、かつては途中に分岐駅がありました。
「根室線関連遺産群」って書いてありますね。ここから北に中標津駅まで標津線厚床支線として伸びていました。
ホームは1面1線のシンプルな構造。使われなくなった外側のホームは標津線へ分岐していた名残。
立派な駅舎と待合室がありますが、当然ながら無人駅。1日の利用者は10人以下とかなり少ない。
10月とはいえ北海道の朝方は冷える。手元の温度計は気温5℃を指していました
さて、時間も限りがあるので次へ行きましょう。
続いて訪れたのは、旧標津線厚床駅のとなり、奥行臼駅跡。
駅舎は保存されており、日中の時間帯だと内部が公開されているそうですが、さすがに朝早かったので外観のみ。
ホームと駅名標が残っており、現役当時の面影を感じますね。
駅名標も電柱も傾いているのは、北海道の厳しい冬の季節を象徴するものか。
古いものを維持するにもお金がかかりますし、この駅もいつまでこの状態で保存されるか分かりませんね。
進路を標津線跡から離れ、海岸沿いの国道244号方面へ
根室から見た時より近付くため、今朝よりよく見える国後島
返せ!北方領土(別海町)
続いての目的地は、国道を離れ道道950号線の野付半島へ向かいます。
これはこの後に訪れるネイチャーセンターに掲示された、野付半島を上から見た写真。
この地域の海流によって生まれた、延長28kmにわたる砂嘴。規模としては日本最大である。
地図で見ると面白い形をした場所なので、一度行ってみたかったんですよね。
この場所、特に商業施設がある訳でもなく、あるのはネイチャーセンターと自然のみ。
ちょっと分かりづらいですが、道路の右も左も海が迫っている道がずっと続く、変な場所です。
先端まで行くぞー、とか思ったら先の先までは行けず、途中で車両通行止めとなりました。
歩いてなら行けるっぽいけど、この先はかなり長いのでこの辺までにしておこう。
誰も居ない観光駐車場。天気も良いし来て良かった!
野付半島の先から戻りつつ、ネイチャーセンターの近くにあった津波避難施設へ。
避難施設ですが、平常時は通路が展望台として公開されているので、行ってみることに。
ここからもよく見える国後島。返せ(略
展望台からだと、両側に海が迫っている様子がよく分かりますね。
地盤沈下や浸食により、野付半島は年々小さくなっているらしい。自然が作り出したものなので、消えるのもまた摂理。
9時オープンのネイチャーセンターに開館同時イン!
ネイチャーセンターで見かけたポスターより。
冬場はこのあたりが一面凍結するそうで、氷上を歩けるらしい。面白そうだけど遮るものがないので寒そう!
という感じにせっかち観光ですが、野付半島観光でした。ゆっくり休む事もなく次へ
返せ!北方領土(別海町)
あと野付半島の観光スポットとしては、「トドワラ」「ナラワラ」と呼ばれる、立ち枯れした木々が集まる場所があります
ここらを歩いて散策すると良いらしいですが、完全にスルーしていたわ・・・。
さて、進路を北に。標津町の市街地あたりまでやって来ました。
ここに残るは標津線の廃線跡。地図が示す場所へ行くと、何も無いように見えますが・・・
はい、ここが標津線の終点、根室標津駅の駅跡となります。
駅舎は残っていませんが、駅舎に使われていた文字装飾だけが残る、そんな廃線跡です。
この場所には蒸気機関車が保存されているほか
転車台も残っているのがポイント。
保存会の有志により、定期的に転車台の回転イベントが行われているらしい
蒸気機関車が変な方を向いて置いてあるのも、転車台も車両も現役で動かしているためなのですね。
続いて訪れたのは、標津町にある北方領土館です。
根室の納沙布岬にも政府と自治体による啓発施設がありましたが、ここも同じく北方領土に関する啓発施設。
納沙布岬は歯舞群島が最も近く見える位置にありましたが、標津町からは国後島がすぐ近く。
わずか24キロ先にあるので、備え付けの双眼鏡を使わなくも見えます。
名古屋に住んでいると北方領土問題は遠い存在でしたが、実際に訪れるとこんな近い場所だったのか。
普段は模型やパネル展示が行われている程度の資料館ですが、偶然訪れた方からお話を伺う事に。
様々な資料を基に説明してくれるこの方は、北方領土の多楽島出身で元島民である福澤英雄さん。
前日にこの施設で行った講演の後片付けに来ていた福澤さん。
名古屋から来た我々のために、その手を止め色々な説明をして頂きました。
生まれ育った多楽島の事、ソ連の侵攻による島からの脱出、ビザ無し交流活動など、あっという間に1時間。
自分が実際見た北方領土、そして元島民から伺った貴重な話。
まずは知る事、なので道東観光の際には是非とも啓発施設は訪れてほしいと思います。
よく見たら福澤さん寄贈の資料が結構あるなここ。
福澤さんがビザ無し交流で訪れた際の写真など。
そんなビザなし交流も2022年、社会情勢を理由に破棄が通知されされてしまいました・・・。
まさか元島民の方の話を伺えるとは思ってなかった。
貴重な時間だったが思いのほか時間を食ってしまったので、昼食の時間を削って次のスポットへ向かいますわよ!!
再び標津線探訪に戻ります。こちらは標津線の根室標津駅の隣にあたる、川北駅の跡地ですね。
キハ22形気動車が保存されていますが、中に入る事は出来ず。
駅名標を真似た標識は当時のものではなく、観光的なモニュメント。
そして同じ標津町内にある「天空への道」と呼ばれるビュースポットへ移動。
いかにも、な北海道の景色に気分は高揚する。
他にもビュースポットがあるらしい、という事で中標津町の開陽台という所へ行くことに。
「地球が丸く見える」と全国津々浦々よくある観光スポットのネーミングですが・・・
わぁすごい!
高台から見回す、広大な平地。ここを開拓したなんて、並大抵の根性では出来ないよなぁ。
やっぱり北海道は絶景だよね。天候に恵まれて良かった!
後で分かったのですが、開陽台って中標津の定番観光地だったのですね。最東端とか廃線跡とかそっちばっか見てた。
さて、さすがにそろそろ根室中標津空港に戻らないといけない時間になってきました。
今日は半日しか観光出来なかったですが、早起きして食事の時間もカットしたので、そこそこ堪能出来たなと。
しかし無事に家に帰るまでが観光。羽田経由で名古屋へ帰らなければ。
<次回に続きます>