筑豊炭田の歴史を学ぶ。直方市石炭記念館は解説アリで素晴らしい施設でした。

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かつて日本の石炭産出量の半分以上を掘り出していた筑豊地方の炭田。
エネルギー転換により、それもまた昔の話となりましたが、その歴史資料館が福岡県直方市にあります。

日本の近代化に貢献した、いわゆる「近代化産業遺産」
春も近くなりお出かけ熱も高まってきたので、ふらっと足を運んでみました。

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2021年3月6日()。旅の始まりはセントレア。
首都圏を除き緊急事態宣言が解除されましたが、空港はやはり人が少ないと感じる

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今回の目的地は福岡県。福岡といえば新幹線で行ける範囲でもありますが、
ANAの特典航空券を利用しての訪問となりました。このご時世なので、空席は結構余裕のある状況が続いています。

そして搭乗するのはコードシェア便のスターフライヤー便。SFJは初めて乗るのでちょっと楽しみ。

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SFJの特徴は色々ありますが、国内線なのに全席にモニタがあるが分かりやすい特徴でしょうか。
座席も広々しているし、USB電源ポートもあるのでなかなか良い具合かなと。

ここまで座席周辺の設備が良いと、機内Wi-Fiが無いのがちょっと勿体ない。

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それでは離陸。

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スターフライヤー自慢のコーヒー(タリーズコーヒー)が提供される。チョコレートはオマケ。

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福岡空港といえば、市街地のど真ん中に滑走路があるので有名ですよね。
着陸時、機内から見える街並みがすごい近い。写真はペイペイドームあたり。

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あ、博多総合車両所だ。

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つつがなく到着。

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福岡空港はリニューアルしてから初めて訪れるけども、ターミナル見るのは帰りでいいか。
到着したらそのまま地下鉄乗り場に直行。

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空港に乗り入れる地下鉄で博多駅へ移動。
市街地に空港があるので、博多まで2駅で行けるのは便利。

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半年ぶりに博多に到着しました。
名古屋から博多だと、空港に行く時間、搭乗待ち、到着後の移動を考えると新幹線と大差無いのですよね。

特に今回は目的地が直方なので、その場合は新幹線で小倉経由の方が近いのではないかと。

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ちょうど直方行きの直通列車があったので、それに乗って直方へ行きましょう。

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直方までは約1時間。景色を見つつ、うつらうつらしながら乗車・・・。

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はい、直方に到着しました。通り抜けした事はありますが、ここを主目的に訪れるのは初めて。

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直方駅舎。駅前に銅像がある・・・?

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誰かと思えば元大相撲力士の魁皇関ではないですか。
福北ゆたか線を走行する「特急かいおう」のネーミング元にもなった力士。像が置かれているとは。

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さて、目的の直方市石炭記念館は駅から少し歩いた所にあります。
この手の施設は駅から遠かったりする例が多いので、駅から徒歩圏内なのは有り難い。

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跨線橋から見た福北ゆたか線(筑豊本線)と平成筑豊鉄道の伊田線。
ローカル線に似つかわしくないと言っては失礼かもしれないが、立派な複線なのも石炭輸送を行っていた時の名残。

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はい、直方市石炭記念館に到着しました。

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こちらの施設は市営のためか、入館料は100円と安い。

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こちらの施設ですが、炭鉱関連の施設であるのは間違いないのですが、
炭鉱の救護訓練施設および鉱業組合の会議所が設置されていた場所なので、坑道とか竪坑櫓とかはありません。

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ちょうど他にお客さんがいなかったので、資料館の方が館内の解説をしてくださいました。
まずこの施設の概要に始まり、現代も使われている「筑豊」という地名の解説へと続く。

確かに「筑豊」って旧国名ではなく、言われてみればそのルーツは何だろうかと思えば、
「筑前国」と「豊前国」にまたがって存在した炭鉱群なので、その頭文字を取って「筑豊」と名の付く組合が作られたという。
なるほど、この地名には石炭が大きく関わっているのか。

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館内は全国にある石炭関連の博物館と比べると、それほど大きくはありませんが
石炭の実物が鎮座していたりと、小さいながらも展示内容は充実している。

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さすがに坑道の現物は無いので、イメージして作られた坑内の様子。

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当時の写真も興味深い。炭鉱長屋が建ち並びその奥にはボタ山が高くそびえる。

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「筑豊に行けばボタ山が沢山残っている」と私も勝手に思っていたのですが、
実際に残っているのごく僅かで、探しに行かないとみられないくらい貴重なものになっている。

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「ボタ山ってどうなってしまったんですか?」と解説して頂いた資料館の方へ質問すると
『別の資源として利用したのでもう残ってないです』との事。

ボタ山は確かに「石炭」としては利用出来ない鉱物ではあったが、
それはそれで利用価値があったため、後に加工して利用したという。へぇ、知らなかった。

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筑豊炭田から産出された石炭。
その輸送について、当初は近くを流れる遠賀川から「川ひらた」と呼ばれる船で水運し若松港へと運びましたが

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時代は代わり、大量輸送するため鉄道が敷設され筑豊地方は網の目のような鉄道網になったのは有名な話。

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今はローカル線となった筑豊本線の若松駅も石炭の輸送で大きく賑わいました。
若松も後で行ってみなきゃ。

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表には救護訓練をする為の模擬坑道や機械などが展示されています。

現代では研修施設とか安全センターとか、大企業であれば当たり前のようにありますが、
当時でこのような大規模な研修施設はどの産業においても例が無く、この筑豊の模擬坑道が最初だと伺う。

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内部は公開されていないので、入口から先を見ることは出来ず。
この模擬坑道は実際に地中へと続いており、全長はとてつもなく長いらしい。

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機関車も置いてあります。

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こちらは旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所という建物。その名の通り会議室が設けられていました。

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先ほどの建物は炭鉱の歴史や内部について展示されていたのに対し、
こちらは保安に関する展示物がメインに並んでいます。

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展示されていた炭鉱災害用の「ドレーガー式救命器」。ドイツから購入したもの。
炭鉱で事故が起きた際に、訓練を受けた隊員がこれを背負って人命救助へ向かったという。

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国内の災害年表というものが並んでいました。
並ぶ数字を見ると、当たり前のように死者が発生しており、炭鉱は災害と隣り合わせの産業であった事がよく分かります。

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時代が流れるにつれ小型化される有毒ガス検知器。

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保安を題材にした漫画。坑内の作業者向けのものだろうか?

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2階は当時の会議室だったそうですが、こちらも資料館になっていたので会議室だった当時の雰囲気は分からず。

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そこに掲示されていたのが麻生太吉氏。

皆さんご存じ、第92代内閣総理大臣「麻生太郎」氏の曾祖父にあたる実業家。
この地で炭鉱経営を行い、筑豊地方の発展に大きく貢献をしたうちのひとり。

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そういえば福岡空港で麻生グループの広告を見たな・・・。
知見が広がると旅行もより楽しくなるなぁ。

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と、そんな感じに建物が3棟、屋外には炭鉱に関する品々が並んでおり
何だかんだでひととおり見て回るのに、軽く2時間が経過していました。いや、実に関心深い内容でした。

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今やほぼ残ってない「炭鉱」というかつての日本の産業ですが、
この炭鉱が日本の近代化を支えたのは間違いアリマセン。

直方の石炭記念館。解説もして頂いたし、わざわざ足を運んだ甲斐がありました。

長くなったので続きの話題は次回。

筑豊炭田で産出された石炭の積み出しで賑わった、北九州市の若宮地区。 石炭産業は衰退してしまいましたが、当時の名残を思わせる建物などが残り、ぶらり散歩のも楽しい。 そんな感じで前回に引き続き、筑豊炭田に関するお散歩の話。
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