かつてヨーロッパと日本を繋いだ長波通信設備「依佐美送信所」の記念館を見に行こう
愛知県刈谷市に近代化産業遺産があり。
1929年(昭和4年)の愛知県碧海郡依佐美村(現在の愛知県刈谷市)にて、長波送信設備「依佐美送信所」の運用が始まりました
この世界最大級の長波送信設備は、日本とヨーロッパの各所を無線で繋ぐために設立されましたが
長波が水中に浸透する特性を利用し、1941年には日本海軍が潜水艦への通信拠点として使用。
真珠湾攻撃開始の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」はこの依佐美送信所から中継されたとも伝えられています。
終戦後の1950年より米軍が設備を接収。1993年まで運用を続け1994年に日本へ返還
翌1995年より撤去が始まりましたが、その鉄塔と設備の一部が保存されているのが「依佐美送信所記念館」です。
・・・説明が長くなりましたが、近代化産業遺産にも認定されている同施設を見に行ったお話。
という訳で、東海道線に乗って刈谷駅へとやって来ました。
縦に長い刈谷市。「依佐美送信所記念館」があるのは中心地より南より
駅はあまり近くないので、刈谷駅から歩くとすると35分くらいの距離にあります
路線バスはありませんが、「刈谷市公共施設連絡バス」というので近くまで行けます。
「依佐美送信所記念館」の最寄りまで行ける小垣江線は1日8本なので、事前の時間確認は必要。
このバス、刈谷市の行政サービスで運行しているので乗車運賃は無料!
市民でなくても利用出来るのは嬉しいですね。
刈谷マネーでサクッと移動。と思いきや、公共施設を寄り道しながら進むため、距離の割に時間が掛かります
しばらくして保存されている鉄塔が遠目に見えてきました
一帯は「フローラルガーデンよさみ」という名称の公共施設となっており、バス停も同名称。
温室や庭園、それに遊具のある広場が広がっています。
その「フローラルガーデンよさみ」の広場の一角にあるのが「依佐美送信所記念館」です。
バスからも見えた鉄塔がドンっと記念館の前に立っています
依佐美送信所鉄塔の説明が書かれています。
短くなって保存されていますが、かつては高さ250メートルあり、当時では東洋一の高さ。
それが2列x4基の計8基、ここ依佐美に1995年まで立っていたというので驚きである
短くなった鉄塔の先端付近
これは先端部分かな?
かつての送信所は取り壊されてしまいましたが、機材の一部が「依佐美送信所記念館」 で保存されています。
館内はかつての送信所をイメージした高い屋根のワンフロア構成
依佐美の地に8基並んでいた頃をイメージした模型。これが1995年まで存在していた。
終戦後は米軍が接収して使用していたため、米軍管理地である事を英語と日本語で伝える看板
記念館内部は大型の機材がずらり並ぶ。こちらは主誘導電動機
空中線波長延長線輪・空中線回路バリオメータ
ローディングコイル・・・などなど、個々の解説を見つつ保存された機材を見る
あれだけのアンテナなので、機器ひとつひとつのスケールがデカい!
近代化産業遺産に認定されている施設に設置されているプレート
ここの施設では館外ではなく、ショーケース内で保存されていました。
平成に入っても残っていた電波塔。当時のカラー写真も掲示されていました
ビデオコーナーでは依佐美送信所に関する、いくつかの映像資料の視聴が可能
長波が水中に浸透する特性を利用し、戦時中は日本海軍が、戦後は米軍が潜水艦との通信に利用していた
このビデオコーナーに並べられた椅子ですが・・・
よく見たら米軍の置き土産じゃないですか!
激動の時代「昭和」を過ごした依佐美送信所。かつての存在を記憶する記念館
こんな所に貴重な遺産が残っていたとは。訪問者は少なかったので、もっと広く知れ渡って欲しいですね。
そんな感じで、刈谷の依佐美送信所と依佐美送信所記念館でした。